10月29日月献供を行いました。朝から雨が降っていましたが献供を始める頃には雨は上がり晴れてきました。今回のメニューはぶなしめじと油揚げの炒め物、里芋の煮物、かぶの漬け物、なめことみつばのお味噌汁と白飯です。
妙華坊
秋峰の興奮もさめやらぬ中、動の峰中修行から一転して静の恒例会を10月4日(日曜日)に行いました。
午前中は山王院の法螺長である光雲坊先達の指導による立螺(りゅうら)講習に引き続き、午後は月輪観の瞑想、プチ法話は年忌法要の意味についてでした。
人が亡くなった(死有)後、次の生までの四十九日間を中陰(中有)と呼びます。
『チベットの死者の書』として有名なバルド・トゥドルは「バルド(中陰/中有)の状態において聴いて解脱する」といわれる、いわば枕経です。
中陰は、意識からなる身体(意成身:風大に乗った識(微細な身体))が業の風に押され次の生へ転生するまでの期間であり、七日ごとにさまざまなプロセスが顕現するといわれているため、それに合わせて法要を行うのです。
そして再生のプロセスでは未来の父母の和合相をみて受胎し、体内五位を経て生有がはじまります。
このように魂は転生していくのですが、此の世に残った魄体(骨)は陰の気であるため、故人の滅後に行う年忌法要は、この魄体が持つ陰の気を中和するという意味合いを持ちます。
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」と歌詞にあるとおり、魂はすでに輪廻転生しています。
しかしわが国では千年以上、魄体(骨)に残った陰の気の薫習を中和する供養を行ってきました。
そこに実体はないとしても、現象が生じますから、三十三回忌までは手厚い供養が必要ということですよね。
慧乗坊