心を知りたい


どうも。慧乗坊です。行者になった経緯を書くようにと仰せつかり、恥ずかしながら書いてみました。

 

思い起こせば今を去る30年ほど前、高校生の頃。フロイトの『夢判断』と『精神分析入門』を読み、自分の中に「無意識」の深淵がぽっかりと口を開けていることに戦慄を覚えたことが、自分の心に興味を抱いた最初のきっかけでした。

 

フロイトからユングを読むようになり集合的無意識の概念に触れ、その時に礑(はた)と自分の心がわからないことに気づいたのです。心は思考なのか感情なのか。思考や感情がわき起こる無意識には触れえるものなのか。

 

無意識の深淵をくまなく照らしたいという思いの中、山崎泰廣・著『密教瞑想と深層心理』『密教瞑想法』に出会い、大学3年の夏休みに高野山で阿字観を教わりました。宿坊に泊まり、朝6時から宿坊の本堂で勤行。朝食を済ませてから金剛峯寺の一般人立ち入り禁止の阿字観道場に籠もり夕方まで。

サンスクリットの阿字を前にただひたすら数息観(すそくかん)、阿息観(あそくかん)、月輪観(がちりんかん)、そして阿字観(あじかん)と段階を追って瞑想を修習し、溢れんばかりの表象(象徴)に圧倒された2週間でした。(当然、睡魔に襲われ、なんども幽冥の世界を彷徨ったことは言うまでもありません。爆)

最後の日、縁側で庭石に対峙しながら瞑想したときに、タイムスパンは違えども、石も自分も同じ刻を生きてる(時間を過ごしてる)と実感したことをいまでも覚えています。

 

高野山から戻ってからも阿字観を続けていましたが、阿字観を修していたというよりも、空想に遊んでいたと思います。指導してくれる人がいなかったので、次第に仕事の忙しさにかまけてやらなくなり、それだけでなく、心を振り返るいとまもなくなっていました。いま振り返ると、この頃はまさしく、心(忄)を亡くしてしまってました。

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いまから18年ほど前にオーストラリアに2年ほど住んでいました。日本と違ってゆったりした時間が流れる中、チベット密教ニンマ派のグループに参加するようになりました。また同じ大学にいたカギュ派ラマの生徒さんとも知り合い、さらにサキャ派の施設に出入りしたりして、大学での研究が終わってからは、瞑想三昧の日々でした。

 

オーストラリアにいたとき、有名なゾクチェンのラマがいらっしゃるという情報がありました。そのラマは他のニンマ派のラマと違って、まずゾクチェンの原初の境地の伝授をされるという話だったので、是非、伝授を受けたいと思いました。初めてゾクチェンの伝授を受けた時、衝撃波で心も思考も吹っ飛んでしまったようで、これが裸の知性なのかとガクガクと身体が震えたことを思い出します。大学時代に高野山で阿字観に触れてから約10年の時を経て、再びゾクチェンで阿字観(白いア字のグル・ヨーガ)に再会したのです。

 

中でもかなり熱心にやったのは、シトゥというバルド(死後の中有の状態)で解脱するという行と、夢ヨーガ(チベット語でミラム)でした。心のいろんな相の現れ方を体験する行に惹かれていたのです。帰国後もチベット関連のワークショップやティーチングに通い、「クンサン・モンラム」「バルド」の教えに感銘を受けたものの、英語やチベット語の教えではなく慣れ親しんだ日本語文化で心の本性の教えを学びたいとの思いをずっと持っていました。

 

その頃、宮家準・著『修験道』を読み、なぜか修験の恵印(慧印)法流に惹かれていました。しかし恵印を求め訪ねた行者さんから、やり方は教えられるがもう法統は途絶えてしまったと聞かされ落胆していたのです。そんな時に「なぁむ・さんが」主催の伊矢野法頭の講演会に参加したのです。伊矢野法頭は私が求めてた恵印法流の正統な伝承者でした。それだけでなく、心の話、現象の話を含め、日本にもゾクチェンやマハー・ムドラーを凌駕する「柱源」が伝えられていることに驚嘆しました。

 

それから山王院にしばらく通い、約半年後に得度を受けたのでした。

 

山王院では、法螺講習会の後の「恒例会」で月輪観(がちりんかん)の講習も行っていますので、興味がおありの方はぜひ、いらっしゃってみて下さいね。

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慧乗坊