「慧乗坊」カテゴリーアーカイブ

10月の恒例会

秋峰の興奮もさめやらぬ中、動の峰中修行から一転して静の恒例会を10月4日(日曜日)に行いました。

午前中は山王院の法螺長である光雲坊先達の指導による立螺(りゅうら)講習に引き続き、午後は月輪観の瞑想、プチ法話は年忌法要の意味についてでした。

 

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人が亡くなった(死有)後、次の生までの四十九日間を中陰(中有)と呼びます。

『チベットの死者の書』として有名なバルド・トゥドルは「バルド(中陰/中有)の状態において聴いて解脱する」といわれる、いわば枕経です。

 

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中陰は、意識からなる身体(意成身:風大に乗った識(微細な身体))が業の風に押され次の生へ転生するまでの期間であり、七日ごとにさまざまなプロセスが顕現するといわれているため、それに合わせて法要を行うのです。

そして再生のプロセスでは未来の父母の和合相をみて受胎し、体内五位を経て生有がはじまります。

 

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このように魂は転生していくのですが、此の世に残った魄体(骨)は陰の気であるため、故人の滅後に行う年忌法要は、この魄体が持つ陰の気を中和するという意味合いを持ちます。

「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」と歌詞にあるとおり、魂はすでに輪廻転生しています。

しかしわが国では千年以上、魄体(骨)に残った陰の気の薫習を中和する供養を行ってきました。

そこに実体はないとしても、現象が生じますから、三十三回忌までは手厚い供養が必要ということですよね。

 

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慧乗坊

雲晴れてのちの光と思うなよ

無明に法性あり。これを知らざるを荒神となす。

法性に無明あり。これを知るを本尊となす。

無明、法性、もとより一念の心性を出ず。

「弁財天修儀」の開闢まで1年を切ったこの時期、「法界一如観」の「法性に無明あり」がピンとこず、本尊供や修儀のプレ前行を修しても、阿字観を修しても、はたっ!と膝を打つ状態は訪れず、悶々とした日々が何週間も続いていました。

何か忘れている教えがあるのではないかと、わからない苦しさのあまり仕方なく、昔、異国で教わったゾクチェンやチャクチェン(マハームドラー)の英語の本や教えのノートを読み返そうと思うまで煮詰まってしまっていました。

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講習会当日、集合時間より早く山王院に到着し、うららかな日差しの中でボンヤリしていてもしょうがないので、境内の掃除をすることにしました。

風で散らばった杉の葉を掃きながら、境内は心の土台、散らばった杉の葉は思考や感情なのか…、とか、分別を離れた掃除とは…、などと、あれこれ考えているうちに、掃くことに専念して少しだけ心が軽くなった気がしていました。

 

講習会では、師匠である伊矢野法頭により、役行者述・理源大師聖宝撰と伝わる『修験心鑑鈔』の講読(読み聞かせ)と講伝(教えの伝授)が行われました。

山伏の本義である三身即一・煩悩即菩提とは、本有の空寂(真如)にして常住不変、虚にして霊妙に知覚される心の本性であり、もとより備わっているものである。

(中略)

このような諸仏の師の教えを理解しないで、さまざまな感情や考えに翻弄されている状態を自分の心と認識することは、感覚器官より生じる感覚によって本来の仏性が損われている状態である。

冒頭から迷妄が吹っ飛び目が醒める思いでした。

この1ヶ月間、悩み抜いた答えが千年以上前に書かれた奥義書の中ですでに説かれていたのです。

 

「もうすでに知っているだろう?!」と直指(セムティ)のイントロダクション。

真如心の本質(本覚)と、衆生心からの自性真如のあり方(始覚)の往復去来。

自らのこころの本質である真如法性の浄菩提心(一覚の自性)にとどまり、自らの自性(如来蔵)中の宝珠を知るべきである、と、まるでメーテルリンクの「青い鳥」のような結論。

 

触れてもスルリと逃げてしまい、密教的な漸観では捉えきれなかった心の本性・性質・顕現のありようについて、この講伝の冒頭からすっかり迷いの雲が晴れてしまいました。

 

「修験は瞬観(瞬間)芸だから」、とは師匠である伊矢野法頭の言。

まさに、私自身のための個人授業と思えました。

書はそれを体得した師によってのみ、息吹を吹き込まれます。

 

「お師匠さま、今日の講伝は『修験心鑑鈔』にしようと、いつ決められたんですか?」

「ん?昨日の夜だよ。」

オソルベシ!師匠!。

師とともにあって、距離というものはない」という修験の師資相承をあらためて実感した講習会でした。

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悔しいけど師の教えの通り、「また来てしまった」と後悔しながら今年も峯に入り、自性の心蓮華を開示し悟入することにします。

慧乗房

心を知りたい


どうも。慧乗坊です。行者になった経緯を書くようにと仰せつかり、恥ずかしながら書いてみました。

 

思い起こせば今を去る30年ほど前、高校生の頃。フロイトの『夢判断』と『精神分析入門』を読み、自分の中に「無意識」の深淵がぽっかりと口を開けていることに戦慄を覚えたことが、自分の心に興味を抱いた最初のきっかけでした。

 

フロイトからユングを読むようになり集合的無意識の概念に触れ、その時に礑(はた)と自分の心がわからないことに気づいたのです。心は思考なのか感情なのか。思考や感情がわき起こる無意識には触れえるものなのか。

 

無意識の深淵をくまなく照らしたいという思いの中、山崎泰廣・著『密教瞑想と深層心理』『密教瞑想法』に出会い、大学3年の夏休みに高野山で阿字観を教わりました。宿坊に泊まり、朝6時から宿坊の本堂で勤行。朝食を済ませてから金剛峯寺の一般人立ち入り禁止の阿字観道場に籠もり夕方まで。

サンスクリットの阿字を前にただひたすら数息観(すそくかん)、阿息観(あそくかん)、月輪観(がちりんかん)、そして阿字観(あじかん)と段階を追って瞑想を修習し、溢れんばかりの表象(象徴)に圧倒された2週間でした。(当然、睡魔に襲われ、なんども幽冥の世界を彷徨ったことは言うまでもありません。爆)

最後の日、縁側で庭石に対峙しながら瞑想したときに、タイムスパンは違えども、石も自分も同じ刻を生きてる(時間を過ごしてる)と実感したことをいまでも覚えています。

 

高野山から戻ってからも阿字観を続けていましたが、阿字観を修していたというよりも、空想に遊んでいたと思います。指導してくれる人がいなかったので、次第に仕事の忙しさにかまけてやらなくなり、それだけでなく、心を振り返るいとまもなくなっていました。いま振り返ると、この頃はまさしく、心(忄)を亡くしてしまってました。

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いまから18年ほど前にオーストラリアに2年ほど住んでいました。日本と違ってゆったりした時間が流れる中、チベット密教ニンマ派のグループに参加するようになりました。また同じ大学にいたカギュ派ラマの生徒さんとも知り合い、さらにサキャ派の施設に出入りしたりして、大学での研究が終わってからは、瞑想三昧の日々でした。

 

オーストラリアにいたとき、有名なゾクチェンのラマがいらっしゃるという情報がありました。そのラマは他のニンマ派のラマと違って、まずゾクチェンの原初の境地の伝授をされるという話だったので、是非、伝授を受けたいと思いました。初めてゾクチェンの伝授を受けた時、衝撃波で心も思考も吹っ飛んでしまったようで、これが裸の知性なのかとガクガクと身体が震えたことを思い出します。大学時代に高野山で阿字観に触れてから約10年の時を経て、再びゾクチェンで阿字観(白いア字のグル・ヨーガ)に再会したのです。

 

中でもかなり熱心にやったのは、シトゥというバルド(死後の中有の状態)で解脱するという行と、夢ヨーガ(チベット語でミラム)でした。心のいろんな相の現れ方を体験する行に惹かれていたのです。帰国後もチベット関連のワークショップやティーチングに通い、「クンサン・モンラム」「バルド」の教えに感銘を受けたものの、英語やチベット語の教えではなく慣れ親しんだ日本語文化で心の本性の教えを学びたいとの思いをずっと持っていました。

 

その頃、宮家準・著『修験道』を読み、なぜか修験の恵印(慧印)法流に惹かれていました。しかし恵印を求め訪ねた行者さんから、やり方は教えられるがもう法統は途絶えてしまったと聞かされ落胆していたのです。そんな時に「なぁむ・さんが」主催の伊矢野法頭の講演会に参加したのです。伊矢野法頭は私が求めてた恵印法流の正統な伝承者でした。それだけでなく、心の話、現象の話を含め、日本にもゾクチェンやマハー・ムドラーを凌駕する「柱源」が伝えられていることに驚嘆しました。

 

それから山王院にしばらく通い、約半年後に得度を受けたのでした。

 

山王院では、法螺講習会の後の「恒例会」で月輪観(がちりんかん)の講習も行っていますので、興味がおありの方はぜひ、いらっしゃってみて下さいね。

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慧乗坊

現象はあるが実体はない?

どうも、慧乗坊です。

以前、ユング派のドリームワークを学んでいた頃、面白い体験をしたことがあります。

部屋を暗くし、夢を思い出すために意識の覚醒水準を下げ、参加者のだれもが目をつぶり、まさに夢を見ている状態で、夢の語り手の話を聞いていました。

 

どういう内容だったかはつぶさに覚えていないのですが、意識が向いている空間の左端に空気が動く気配がしました。あっ!子ども!と意識が知覚した刹那、夢の語り手から「その時、子どもが…」と語られ、(子ども…、子ども…)と会場がかすかに動揺した感じがありました。

 

人間は、知覚神経の興奮状態を「外的な何か」と意識します。神経生理学のレベルでは、末梢の知覚神経の興奮は約0.5秒遅れて意識化され、この0.5秒の間に意識は出来事を組み替えなおし、あたかも最初から知覚していたかのように認識される、ということが知られています。つまり、「子ども」という言葉を聞いた0.5秒後に、意識がまるで自分もそのことを考えていたかのように反応しているのです。

 

このような「出来事を組み替えて物語化する」という人間の常態について、師匠である伊矢野法頭は「逆・般若波羅密多」とおっしゃいます。確かに外的な何かに反応したにせよ、その知覚は自分の外ではなく心の中で起きていることなのです。外にある何か、と意識が彷徨ったとしても、それは心の中のイメージの揺らぎにしかすぎないのですよね。

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エラそうに書いたり語ったりしていますが、お恥ずかしい話、私自身、恵印三昧耶の加行の際、一切智者・八宗の祖といわれる龍樹菩薩法で障碍(引っかかり)がおきたことがあるのです。

その時には、師匠から「莫妄想(まくもうぞう)」「言妄慮絶(ごんもうりょぜつ)」「如実知自心(にょじつちじしん)」などの教えを朝まで何度もたたき込まれ、「心の現れに過ぎない」ということがようやくわかりかけてきた頃、またまた、面白い体験をしたのでした。

 

特別養護老人ホームを訪れたときのこと。入室者が少ない階の廊下を歩いているとき、うら寂しいデイルームのカウンターテーブルの上に、生首(らしきモノ)が乗っていました。

私は、あぁ、あるなぁ、という感じで視ていたのですが、同行者は真っ青になって震えていました。きっと同じモノを見ていたのでしょう。近づくにつれ、その生首(らしきモノ)は次第に背景に溶け込み見えなくなってしまいました。直後に同行者は悪寒を訴え、急な発熱と頭痛でフラフラになってしまい、抜き取り加持をしてあげて、事なきを得たのでした。

 

この話を師匠にしたところ『「現象はあるが実体はない」という「般若波羅密多」を理解するコツは、バカになること』という究極の奥義を伝授していただきました。

「あぁっ!思い込みという固定観念を手放せ、ということですね、お師匠さまっ!?」と0.5秒で答たところ、「それが所知障(ちえのさわり)!」とツッコミくらった思い出も、いまでは楽しい語り草になっています。

 

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慧乗坊

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