修験の宗意は、僧俗、知者愚者を選ばず、貧富貴賤を分たず、初めより勇猛の信心、菩提心を起こし峰中霊窟に入り、果を取り水を汲み行いをいたし十界の修行、正灌頂の秘法を受け、無相三密十界一如の義を体得し、ただちに本有自性の曼荼羅を開き覚るをその本旨となす。かく行ぜば自然の佛智たちまちに開き五神通の山伏となる。但し増長慢、非礼不明の行者に於いては、行いかえって畜魔の二行となる。常に峰中同行を諸菩薩と敬い、和敬をいたし、慈悲を専らにしてよく忍苦して己が六根の罪障を懺悔し、もって心鏡を澄まし開山勝道上人、開祖役行者神変大菩薩、歴代先達に報恩の想いを致すべし。