悼念李前総統登輝先生逝世

この度の李登輝先生の御逝去に対し深く哀悼の意を表します。先生は日台の友好に多大な寄与をされたのみならず、日本の文化と日本精神に対して深い理解を持たれていました。私事ですが十数年前、台湾淡水にて先生の講話をお聞きしました。その折先生は窓からみえる観音山を指して、「昔あの山に登ったことがありますが、その頂上は大変せまい所で少数の人しかいられません。私も台湾総統の立場にあった時は、あの頂上にいた様なものでした。トップにいる者は必ず自分より上のものを持っていなければなりません。神、仏、天、何であれそれがなければ権力を持つ者は道を誤ります。」大体この様な主旨でした。他にもいろいろ御聞きしましたが、このお話は今も私の心に深く残っています。先生は深い信仰をもつクリスチャンでした。宗教の枠をこえて、よき事をなすことは大切なことです。先生の成し遂げた民主化された台湾は今コロナ禍の世界のなかでひときわ輝いています。現代の哲人政治家、それのみならず広い見識と公正な見解、人々のためになろうと公のために生きる在り方。先生の志の高さ、先生の御功績を讃え深く御冥福お祈りいたします。

                  日本国 日光修験道山王院

                    法頭 伊矢野 慈峰

            

武漢新型コロナ疫禍と却瘟道場

 四月から鹿沼銀座の山王両所院にて却瘟道場(疫病退散祈祷道場)を開き、このたびの武漢発新型コロナ疫病の鎮静、良薬、ワクチンの速やかな出現、また疫病不罹患を祈祷しています。古くは疫病流行の時は公の御祈祷として、宮中の御修法、御読経、大般若転読が行なわれ、各地の神社においても大般若転読が行なわれました。

牛頭天王
牛頭天王

 疫病に関する修法は、牛頭天王の法や忿怒大黒(摩訶迦羅大黒)天を中心に梵天、七母女天(疫神)を供養する摩多利神法などが有名です。また、焔魔天供や冥道供も行われました。疫病は、人々の悪業と怨嗟、怨みある霊たちなどの上に流行するものとされ恐れられその対処として、京都の神泉苑御霊会などが行なわれてきました。今回の流行も、中国の武漢から欧州、日本、世界に広がったことを考えればチベットで僧尼を殺害し寺廟を破壊し、ウイグル族を弾圧し語論の自由を奪い、世界を自分の思い通りにさせようとする中国共産党の悪業と、目先の利益のためそれらの事実を見て見ぬふりをし、批判することない日本や欧州。その様な中国と深く係わることにより共業(共にする業)を生じ、その結果受ける所の果報(むくい)もその原因の一つと考えられましょう。普賢菩薩の誓願にある業障を懴悔し、今回顕れている様々な事がらを見極め、問題点(利益優先に走り、何でも外国で安く作ること。例えばマスクなど中国で作り、必要な時に輸出を止められ日本に入らず欧州やアフリカ等に中国の影響力拡大のために配布されたこと等々)を正していかなければなりません。
 疫学的に感染症流行を止める方法は、患者の発見と隔離です。初動にこれが十分に行われたとはとても思えません。PCR検査をなぜ多く行わないのか?もっと多く行うべきです。経済は景気によります。安心感がなければ経済活動は低いまま、感染が中途半端に続くことになります。コロナとの共存ではありません。明確に感染者を隔離治療することが必要です。

薬師如来
薬師如来

 ともあれ、目に見えないものは鬼(この場合は悪疫神)です。薬師如来の垂迹である牛頭天王は配偶神婆梨采天女(十一面観音の垂迹)と御子神八王子と共に疫病を流行させ、また鎮める力を御持ちの尊神です。また系統は異なりますが、忿怒大黒天の眷属七母女天もまた流行神です。現在悪疫流行の時にあたり私達は心を静めて、仏法僧の三宝、薬師垂迹牛頭天王、不動明王の化身摩訶迦羅大黒天神を念じ、共業を懴悔して疫病消滅、良薬、ワクチンの速現流布を祈ることが大切なことであると思います。但し、マスク着用、手洗い、三密(密閉・密集・密接)を避けることを必ず守りましょう。

男体山にて

本日(8月1日)中宮祠の二荒山神社(男体山登拝門)より一合目の戒壇跡堂に登り、顕密護摩を修めその後に牛頭天王の祈祷と忿怒大黒天の祈祷を行い、信徒各位が疫病に罹患しませんように祈願をこらしました。

本年は夜間の登拝が禁止だったため御山はとても静かでした。

その後、二荒山(ふたらさん)神社の社殿にて山王院関係の皆様に代わり、礼拝いたしました。

令和2年度秋峰修行について

 本年の9月19日から21日に予定していた令和2年度秋峰修行は規模を小さくし、一般の方にはご遠慮願い、行者若干名で修行いたすことになりました。

 護摩祈祷は山王院にて修行し千巻心経も行います。普通は日光で一泊しますが、本年は泊まらず、日光の二荒山神社、ご本坊、三仏堂、護摩堂を拝し、山王院にて結願の座を修め、本年の修行といたします。

 このような時ですから、信心を堅固にして神仏を念じ日々安全にお過ごしください。