日光山入峰修行を行いました。(前編)

令和5年9月16日~18日にかけて日光山入峰修行を行いました。本年は4年ぶりに通常通りの日程により修行を行いました。

峰中安全、所願成就の千巻心経を誦え、十界修行を行いました。

この後、徹夜で峰中諸拝所を経て中禅寺までの修行です。

夜明けです

 

細尾の宿

 

日本カモシカです

9月17日に中禅寺湖畔に到着し、中宮祠(中禅寺)二荒山神社にて御法楽(神前読経)の後、歌ヶ浜立木観音(現中禅寺)まで行列しました。

二荒山神社中宮祠での御法楽

 

神社出発

中禅寺への行道中です

 

中禅寺にて峰中採灯護摩ならびに大火生三昧(火わたり修行)を行いました。

立木観音御宝前にての御法楽

 

いよいよ大火生です

 

阿字門作法で道場の門を開きます

 

山伏問答の後、道場に入ります

 

御祓い作法

 

床堅(とこがた作法)

立螺師による立螺

 

宝弓作法

 

願文奉読

 

採灯壇に点火しました。正面は男体山です

正先達により採灯の修法がおこなわれます

 

 

 

 

火伏せの後、大火生三昧(火渡り)です

 

 

 

続く

盂蘭盆会(うらぼんえ)法要

8月14日盂蘭盆会法要を行いました。

 

 

光明真言の秘法を行いました。この法を行うことで地獄の底から天界まで仏の光明に照らしだされ、罪業を浄めると仏様が説かれています。

 

 

その後、大施餓鬼供養を行い、三界六道、水陸生類(水中の生類、空中陸上の生類)、弧魂(供養されていない魂たち)に呪食(真言で加持した食物)を施し、それらの霊魂が苦を離れ天界や浄土に生まれるよう祈願いたしました。また、有縁の亡くなった方々の御名前や戒名を読み上げ菩提を念じました。

 

 

 

次に流水灌頂道場で流水灌頂を行い、加持浄水により罪障消滅を祈り、その後供養したい方の名を書いた水塔婆を加持浄水に流し供養いたしました。

 

 

最後に浄苑にて阿弥陀仏を念じ、施主の塔婆供養を行いました。塔婆は仏像を建立するに等しい功徳があり、有縁の亡くなった方にその功徳が回向されます。志す方がいない場合でも三界万霊に塔婆を回向することで施主の方は現世で幸せが得られるとお経に説かれています。

 

法要の準備をしている時、流水灌頂を始める時に大雨が降りましたが何とか4つの法要を無事に行う事が出来ました。

 

船禅頂執行

8月4日、日光山中禅寺(立木観音)主催により船禅頂が行われました。午前10時より中禅寺上人の御導師により地蔵尊、石造採灯護摩壇に御法楽の後、上船して中禅寺湖に乗り出しました。八丁出島薬師堂跡、大日崎、日輪寺跡、上野島等を拝し千手ヶ浜にて下船。その後徒歩にて千手堂に至り礼拝し、また千手ヶ浜に戻り上船、旧中禅寺の地(二荒山神社)向かいの湖上にて男体山を拝し御法楽を行い中禅寺に帰着、千手大悲尊の御宝前にて結願法楽をいたしました。

男体山と上野島

この行は船で拝所を巡り、男体山もしくは湖水に映った山影をめぐり、その湖水の山頂に到り礼拝をするものです。

中世ではすでに行われて居り、恐らく当時は湖上交通が盛んに行われていた名残であると思われます。中禅寺より出していた古い御札に「浪切不動」の御姿がありましたがこのことを裏付けるものといえましょう。

開山勝道上人が、湖畔に神仏を祀り人々のために御修行なされたことを偲び各拝所にて皆様の安らかならんことを御祈り申し上げました。

白岩観音

 

赤岩権現

 

千手堂を仰ぐ

中禅寺五大堂からの男体山

 

男体禅頂(登拝祭)

8月1日午前零時 日光男体山の登拝門が開かれ登拝祭が行われました。開門前に日光修験道により、九字の大事と法楽勤行が行われ、法螺の音と共に登山礼拝が行われました。

本年は、大変な荒天で頂上太郎山拝所での密供時も雷鳴響き豪雨となり山神の荒き御力を感じました。宇都宮、鹿沼、栃木でもこの夜は大豪雨で二荒山(年に二度、雷が関八州を暴れるので二荒と称し、弘法大師来晃の時、二荒(ニコウ)を日光と改めたといい伝えられています。)の名の通りの天候でした。

一合目の旧戒壇にての密供の時も雷音すさまじく豪雨が降りました。人間界も様々な事件、事故、戦争で混乱しています。この大豪雨によって思うことは、国家や集団を離れ、一人の時、自然の荒さに対しては惟、恐れ畏むしか出来ることはありません。すべての人々がこの心を思い出すことが必要であると痛感いたしました。

その後、中宮祠本殿にて御内陣参拝をして世の平安と皆様の息災を御祈念申し上げました。

 

法螺長による山頂での立螺

奥宮

山頂より中禅寺湖を眺める

 

旧戒壇堂にて密供

日光修験道・山王院の行事をお知らせします。