柱源法は、當道秘法(當道=修験道)とも、柱源神法とも称されます。また、柱源採燈(柴燈)供養法とも、柱源護摩とも呼ばれます。
火を燃すことから柱源護摩と呼ばれますが、密教で言う護摩とは異なるもので、採燈(柴燈)は柱源法の一部(死滅の行儀)です。
死滅の行儀は乳木採燈の形で、呼吸が停止するとき六大が分解して識体が中有に移ることを意味します。
識体は本源の解脱状態を離れず、死においてさえもその本源から離れることのない境地に死し、本源解脱の阿字の境界が顕現します。
死滅(採燈)の行儀では、死有中有のうちに本覚覚悟が明瞭になる無相三密のあり方を現します。
このように、柱源法(柱源神法)は、本覚、すなわち本来的完成、また本源的な解脱の境地のうえの働きとして全ての存在があり、その本源的解脱である本覚を離れた存在はないということを覚悟する秘法です。
本源(本覚)の解脱そのものの遊化であることを知り、常にそのようにある(即身即身)ことは、自己の心の狭間にかいま見る頓超不二の境界、内証を意識せずに覚悟することがこの柱源法の本質とされます。
柱源採燈供養法はその境地において利他行でありますから、新型コロナウイルス感染症の早期終息と皆さまの安泰と弥栄を御祈念申し上げました。
柱源法要の後、鹿沼市長、大徳二十三夜尊薬師寺のご住職を御来賓としてお招きし、山王院行者一同とともに直会の忘年の宴が催され、来る歳の幸多からんことを願いました。
(文責 慧乗房)